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備中神楽の簡単なあらすじ。神楽面の紹介。神楽動画の紹介。神楽公演の紹介。ふるさとの風景紹介。おく山のお便り。

わしの村の伝説・風習を知る者も、おらんようになってきとる。
太古の昔から、この地には人類が住み、生活しとったんじゃ。
教科書に載ってる有名な場所だけが歴史じゃねえ。
わしが生まれたこの地を知らずして、
よその歴史を なんで語ることができようか。

おく山の秋








 

おく山の見どころをご案内

 江良谷川公園  
   ★2014年から河川敷整備事業と地元ボランテアによる活動により整備された公園ができました。上流には丁老池があり、その先は阿部山山頂と続きます。
春は桜、秋は紅葉が楽しめる自然豊かな清流です。
お子様の水遊びも大人気!
★輝け!江良元気会事務所があります。

 丁老池  
   ★一町六反(15,867平方メートル)の面積をもつ江良地区最大の人工池です。
令和元年に大規模補修工事がなされました。
   ★大正12年7月1日 丁老池が決壊しました
昭和4年8月に修復が終わり、その後、江良谷川に複数の砂防ダムが建設されました。江良谷公園で見る事ができます。 

 野宮橋  
   ★小田川に懸かる橋で「流れ橋」と言われる形態で、増水時に橋の本体が外れて流れて橋脚を守っていました。
平成の水害により橋脚が崩壊して、野宮橋は破棄されました。
しかし、小田川のせせらぎは今も変わらない。

 若宮神社  



御八解立(おはけたて)
 ★鵜江神社(川面)の御分霊を寛永十四年(1638年)に郷の宮地に奉遷した。
石鎚様の祭典、御八解立、備中神楽、御湯立、子供相撲、夜籠りの行事がある。
祭神:神武天皇
 ★御八解立

荒神神楽の行事として大当番宅の庭先に竹をたてて、竿先に御座を置き、神の降臨を待つ。
 

備中神楽のお話

    ★ 御鋒(みさき)様(若宮神社境内)

境内に鎮守されている。百姓一揆で打首になった1人の祠(ほこら)ではないかと言われる。
 明和7年(1770年)大干ばつがあり、庭瀬藩の矢掛陣屋に強訴した。その時の首謀者3名が川原で打首になった。この義民3名は、御鋒様と呼ばれ矢掛神社に祭られていると伝えられている。
   ★火御崎神社(若宮神社境内)

若宮神社の境内にある。
毎年総代で祭典を行っている昔江良に度々火災があり火の神を祭り祈願した。

 貴布禰神社  
 


 ★元禄3年(1690)に京都愛宕郡鞍馬村の貴船神社の御祭神雷神犬山祇神タカオカミを勧請したと伝えられる。
 ★当病平癒にご利益がある神社として江戸時代から明治にかけて小田郡のみならず、岡山方面にも信者をもち、栄えていたことが知られる。
 ★福頼神社(矢掛町横谷)、道通神社(笠岡市寄島)と貴布祢神社(矢掛町江良)を備中三大祈願所といわれている。祭神:雷神・大山祇神高龍神

貴布禰神社 由来 pdf

   ★夏、輪くぐり祭が開かれる。
 輪くぐり神事とは、茅の輪をくぐり罪けがれを取り除きお清めをする神事です。その起源は備後の国土風土記により素佐之嗚命が「もし悪病が流行した時チガヤで輪を作りこれを付けていれば災難を逃れられる。」と託宣を受けた故事によります。。 
 

燈籠に「きつね」が鎮座
 ★おつかいはキツネであるといわれ、本殿の横には出入りする穴が開けられている。高梁川が洪水で渡れない時には、キャンキャン鳴いて知らせたといい、握り飯が好物でお供えしておくと必ず次の日にはなくなっていたという。
 
    ★算額が奉納されている。
 算額とは、和算家が解決した算問を額に描いて神社仏閣に奉納したもの。神仏に解決を感謝し、問題を広く伝える意図があった。
 

算額のお話


 荒神社  
   荒神神社 勧請:亨保 9年(1724) 吉日
★小部落単位で祀られる地神の親神的存在
★7年に一度、荒神神楽が奉納される。
 開催年: 丑年と未年 場所: 若宮神社 境内

 株神社  
   ★魔利支天(まりしてん)の神を主神に同族(同姓)集団で祀る血縁神。

 王子大権現  
   ★乳の神として母乳が良く出るとのいわれがある。
 現在は、祠のみ鎮座している。

 牛王神社  
   ★牛をお祭りしています。農耕牛は、農家にとって大事にされていました。

 瀧王神社  
   瀧王神社
★瀧、水の精霊をお祭りしています。
鵜宮神社(川面)の当番が祭典前に清める滝である。

 夜灯さま  
    ★この常夜燈では、金毘羅さまをお祭りしています。
 常夜燈は、仏堂に献燈する施設として奈良時代頃に朝鮮半島から伝来した燈籠を起源として、その後寺院だけでなく氏神へも奉納されるようになってきました。常夜燈の寄進には燈明料などが従い、誰もが容易に寄進できるものではなかった。近世以降には、庶民層からの奉納も可能となり、街道、村境、村内の辻、峠に盛んに建てられた。
 村内安全や、道行く人の安全、防火などが祈願されました。旅人のとっては、道しるべとして利用されていました。

 龍王神社  
   ★龍王山の頂にあり、雨水の神と言われ雨乞い神事をしていた。昭和12年(1937年)の干ばつの時、藁(わら)を野宮の川原で焼いて龍王さまに向かって雨乞い神事を行ったとの実話が残る。御祭神:水象女命、天熊人命

 石鎚神社  
 

 ★阿部山系にあり、社は巨岩の上にあり、参拝にあたり鎖をもって登る必要がある。御祭神:石鎚大権現

 青銅鏡  

 青銅製 鏡面 8cmm
矢掛町文化財指定

 ★教科書で知ることの無かった銅鏡が伽藍山山系からも出土していた。石棺の枠のみ残されていました。

 古墳  
 

 ★身近な所に古墳を見つけることができます。わが村にも太古の時代から権力者がいたのか?古墳の石積が現在も崩壊せず残っている。

 鷺(さぎ)の尾  
 


鷺の尾山頂に寺院跡の石垣が残る 
 戦国時代毛利軍が遠見の為の番屋址で『江良鷺の尾合戦』ゆかりの地である。
 建長三年(1251年)肥前三郎資泰が伊丹千手院に寄附した鐘は、その後、江良村鷺の尾合戦の時、毛利軍に取られて、小田川の水中に沈めた。その後、土地の住民が引き上げ倉の中に納めた。永禄十二年(1569年)小田城主乗清が買上げて持宝院(笠岡市走出)に寄附したと記録が残る。

 伽藍山  
  ★おく山の裏山です。
過去にこの山頂に、寺院や山城が存在しました。町内が見渡せる山頂からの展望をご堪能ください。
   

伽藍山の探検


西極楽寺本堂(西方院 )  
  ★天平年間(737年)行基菩薩の開基とされる十二坊が伽藍山山頂から寛永年間(1624年ごろ)に下山した。十二坊のうち、西の坊・大光坊・金剛坊・西明坊・辻の坊・新蔵坊・塔善坊の七坊が寺谷に下り、西極楽寺となる。現在、西方院には、西極楽寺の本堂が残る。 


  西方院  
     ★西方院には、伽藍山極楽寺より明治初期に移設した毘沙門天、千手観音、仁王像が残る。矢掛町文化財指定
   

千手観音

毘沙門天
 
仁王像
 
仁王像
 
   

伽藍山の歴史

 

江良地区の見どころ Google map

 

外部リンク





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